
物議をかもす描写もあるかもしれませんが、不条理SFとして秀逸なアニメです。
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- TVアニメ「アポカリプスホテル」公式
追記:4話目以降
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- 第6話(更新:2025.05.14)
たぶん恋の話ではあるんでしょうね、悪い男に女は惹かれるというーーその究極の悪い男として、文明の大量破壊者を設定。
そしてこの類の典型として、男は意味ありげなことを言いますーーそこでは文明を壊すことが語られますが、理由は明確には示されません(ようするに勝手な理由、ということでしょうかーーじっさい「滅ぼす際もだれかの都合などお考えになっていない」と指摘されてますし)。
いずれにせよこの話では、女(ヤチヨ)が男の話をまったく意に介さないので、男の方がとまどう、という逆パターンにーーけっきょく多くの文明を破壊してきた異星人は、ヤチヨのホテルを危機から守り、さらにすこしのお礼もしてくれたようです。
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- とうぜんそこには善と悪/罪と罰の問題が出てきますし、じっさい<テロリスト>である異星人を倒しにくる<正義の味方>も現れます(とはいえかれら自身もはた迷惑な存在です)。しかしヤチヨは、異星人を断罪はしません。そうする条件が満たされていないからともいえますが、その無垢さ/律儀さが、勝手に壊すことの意味を示唆する状況(「壊すこと/壊れること」)とあいまって、異星人になんらかの影響を与えたといえるかもしれません(最後にかれも、文明の再生について考えるようになったようですしね)。
- ※
- そしてヤチヨの<心>にも、なんらかの変化は起きた/起きるとみるべきでしょうかーー自身の<感情>について内省する機会が与えられたようにもみえますし(このアニメのお約束としてギャグ調で締められていますが)。
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- 第5話(更新:2025.05.07)
ウィスキーやワインは、その性格から、作る年月を短縮できない製品といえます。
化学上は、まったく同じ味・香りの酒を、短期で作れるかもしれませんーーとくにこの作品はSFなので、それを可能としてもおかしくありませんし。
しかし蒸留酒/醸造酒は、その熟成の間の歴史を内に封じ込める、という性格があります(とくにウィスキーは樽を通して呼吸するので、すべての時代の大気が、その溶液に詰め込まれていきます)ーーこの作品におけるその歴史は、みなで過ごし〜関係を築いてきた歳月でしょうか。そしてそれを最後に味わうーーいい演出です。
SFは時間を拡縮・逆転させたりしますが、この話はむしろ、決して短縮できない時間(営み)をあつかってますね。
いっぽうSFならではの表現として、数十年をかけたはずの醸造なのに、登場人物がほぼ年をとりません(ロボットと長寿の知性体だからですが)ーーヒトなら世代を継いで製造していくものなので、自分が手をかけたものを味わえるともかぎりませんがーーこの物語はその重苦しさを取り去り、純粋な夢として表現しています。そしてその営みが、永遠に続くような錯覚を与えていたりも。
あとウィスキーを題材に選んだのは、ジャパニーズウィスキーの成功もあるかもしれませんが(「マッサン」など)。
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- ちなみに日本では免許を取得せずウィスキーを醸造するのは違法ですがーーアポカリプス時代は貨幣経済もそうですけど、ホントいろいろ自由すぎます。
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- 第4話(更新:2025.04.30)
予告ではタヌキ星人の子供(ポン子)が肉をほおばりながら泣いている場面があり、ニワトリを飼っているカットも配布されていたので、それ系の話かと思っていたら……
泣いたのは、巨大生物との闘いで、食べられる側の恐怖や弱さを知ったからなんですねーーSFで<命をいただく>を描くとこうなる、ということなんでしょうけど、ほんと毎回外してきます。
なおニワトリもただのネタではなく、冒頭と最後で、ポン子の心境の変化をあらわす要素に使われていますーー冒頭ではニワトリに名前をつけても「どうせ食べるんだし」と、かなり無頓着でしたし、「おおきくなあれ」とは言うものの、おざなりでしたーーしかし最後のシーンでは、同じ「おおきくなあれ」が、かなりの感情を込めた台詞になっているのが分かります。
背景:人類を待ち続けるロボットたち
このアニメは、全人類が地球を脱出したあと、地上にただ一件残ったホテルで、客を待ち続けるロボットたちを描いています。
人類が地球を離れた理由は、変異したシダ植物ーー霊長類を死滅させる物質を放出し始めたので、大気のもとで生きられなくなったためです。[※1]
ただし人類の現況は(地球からの視点で描かれるので)曖昧ですーーすでに地上とは音信不通となっていて、すくなくとも一隻の宇宙船は、壊滅状態にあることが示唆されています。
そんな状況で、日本の旧銀座に残されたただ一件のホテル「銀河楼」ーーここでは100年の間、ロボットたちが客を待ち続け稼働していますーー接客/運搬/調理/清掃/補修/自家栽培と、最低限のホテル業務はできていますが、多くのロボットは故障し、地下で眠っている状態です。
ロボットのなかでも、3体はヒトの言葉を話しますーー主人公の、前向きだがすこし脇の甘さがある接客ロボ「ヤチヨ」、頑固だが穏健なドアマンロボ、そして用心深いが言動が過激な環境測定ロボーーあとマスコット的?な存在として「ハエトリロボ」も。
- ※1
- もともと酸素も、それまでの生物(嫌気性生物)をほぼ絶滅させた物質だったので、歴史の皮肉をあらわしているわけですが。
展開:異星人とのファーストコンタクト
これまで3話が放映されており、第1話は背景の説明、2話と3話は異星人とのファーストコンタクトもので、それぞれ意思疎通の困難さ、異文化との衝突をあつかっています。
特徴:SFの常識を逆手にとったオチ
このアニメは、かなり本格なSFといえますーーというのも<SFの常識を逆手にとったオチ>を、2話と3話では展開しているからです。それぞれ:
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- 第2話:意志疎通ができていないのに、経済行為までやってしまう
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- 第3話:ロボットのホテル接客係が、客を殴って事態を収束させる
第2話で登場した異星人は、意思疎通すら困難な相手でしたーーとくにこの旅行客は「オカネがない」ということを何度も示そうとしていたようですが、ヤチヨは理解せず、最後の請求の段階でそれが分かりますーーその解決策があまりに雑なので笑ってしまうのですが、これだけコミュニケーションができていない状況で、請求と支払という経済行為までなんとなくやってしまうーー概念と言語の理解から始めるのに素数列から試すようなSFでは、まずできない描写です。[※1][※2]
第3話の異星人は言葉は通じますが(あらかじめ地球のことを学習している)、文化がまったく違いますーー地球のタヌキに似ていて習性もタヌキそのものなので、いわゆる獣害と同じことがホテルで起きてしまいます(糞害など)。最後は和解にいたりますが、その契機が、ロボットでありホテルの接客係でもあるヤチヨが客を殴り倒すというものーーSFでは、ロボットはヒトに危害を加えないというのが常識ですし、現実でもニューラルネットAIの危険をどう防ぐか、ということが議論されていますーーなのに、真逆の行動で事態を収束させるという……[※3][※4]
さらにこれらのオチは、どれも<ミッションクリア>の一環としても表現されていますーーそれぞれの達成に応じてリミッタが解除されるので、オチが完全に意図的であることを、制作者は示しているわけですね。[※5]
- ※1
- 異星人の言葉は英語などが混じって聞こえるので、地球の言葉をそれなりに学習したうえでのピジン語なのかと思いましたがーー声優のアドリブだったようです。
- ※2
- 主人公は意思疎通を図るため以心伝心の場(茶の湯)まで用意したのですが、最後の描写をみるかぎり成果はほぼゼロ(あるいはマイナス?)だったような。
- ※3
- ただしこのタヌキ星人は体の形を変えることができるので、通常は、外見を人類そっくりにしています。
- ※4
- アシモフの小説でもヒトに危害(精神的なものふくむ)を加えるロボットが出てきますが、それはロボット3原則(原案はキャンベル)をどうあつかえばそうなるか、というミステリーとして機能していました。また、その後のロボットものでも、3原則やその類型が、それぞれの行動をしばる大きな要因になっています。
- ※5
- これで解除された機能も不条理そのものなので、笑えますーーとはいえクライマックスでは、これら一見無意味にみえる機能群が使われるのでしょうけど。
問題:旅行客による迷惑行為と、暴力による解決
このうち第3話は、さすがに物議をかもしそうな内容ですーー迷惑な旅行客に対し、暴力で対応するということですし。
現実に<旅行客による迷惑行為>は起きていて、被害を受ける側には不満もあるわけですーーこの物語で描かれた暴力行為はその代償のようにもみえ、際どい表現といえるかもしれません。[※1]
- ※1
- たとえば以前の日本では、<殴って分からせる/分かってもらう>という慣習のようなものがあり、それが容認されていたりもしました(「俺はこれからお前たちを殴る!」)ーーしかしいまそれが認められることはないでしょう。そして現代の日本ですら、先のウィルスミスの平手打ちでは、日本人の方が米国の人びとより容認する姿勢が大きかったりしますーー暴力に対する嫌悪は国によってもかなりの違いがあり、日本のアニメが海外で配信される現状では、より厳しい意見が出ることも予想されます。
対応:自由な表現のひとつとして大目に
アニメ「アポカリプスホテル」は、不条理SFモノとしてとても秀逸ですーー物議をかもす内容もあるかもしれませんが、文芸の自由な表現のひとつとして、そこは大目にみてくれないかな、とも思うわけです。[※1]
- ※1
- とはいえ、人は現実に生きるもので、また倫理に対する感覚は敏感ですーー架空の物語に対しても、そこに倫理的な表現があれば<ただのお話>として片づけることが難しいというのは、古今東西、繰り返されてきたことですし……